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障害を持って生まれても、身体と向き合い生きていく──日本オストミー協会 和歌山県支部 柳岡克子×エムアクト 神戸翼【前半】

いつ病気になったり障害が生じるかはわかりません。成長するにつれて治ったり寛解するものもある一方で、年齢を重ねることで表出してしまうものもあります。なので、いまある状況と付き合っていくことが求められてしまうのです。

手足に重度の障害を持って生まれ潰瘍性大腸炎によってイレオストミーになった、日本オストミー協会 和歌山県支部 支部長の柳岡克子さんに、どのように自分の身体と向き合ってきたかを伺いました。

目次

オストメイトになった経緯

ゲストの紹介

自己紹介と、オストメイトになった経緯を発覚のタイミングから教えていただけますか。

潰瘍性大腸炎が原因でイレオストミーになりました、柳岡克子です。オストメイト歴12年です、よろしくお願いします。

私は昭和39年の東京オリンピックの年に、和歌山県御坊市に生まれました。両手足に重度の障害を持って生まれたので2歳半まで歩くことができませんでした。
手術をしたこともあって、普通の小中高等学校に行くことになりまして、母に送り迎えをしてもらいました。その後、神戸学院大学薬学部に進学して薬剤師の資格を取りました。

その後、潰瘍性大腸炎になったときに、入院を何度もしているということで当時勤めていたドラッグストアを退職しました。
そのタイミングで地域の障害者団体の会長にならせてもらって、御坊市身体障害者福祉協会の会長を10年間させていただきました。

発覚

そうこうしているうちに大出血をいたしました。33歳のころから下血をしていたので入退院を繰り返していたのですが、45歳の誕生日の前日にも大出血をしました。大腸がもうボロボロということで輸血を大分してもらったんですけど、手に負えない、このまま放って置いたら死んでしまうと言われました。
御坊市の結構大きな病院だったんですけれども、輸血しても追いつかず「これじゃダメだ」ということで、ドクターヘリを呼んで夜が明けたらすぐに朝一番のヘリコプターで迎えに来てもらいました。

和歌山県立医科大学の救急外来で大腸の全摘出の手術をしました。私は貧血状態だったので、手術の同意書にサインをしてと言われたような言われてないような…覚えているような覚えていないような…。手術をしているのでサインをしたのだと思います(笑)。
せっかくドクターヘリに乗ったので、我が家や和歌山の景色を見たかったのですが見る余裕もなく、貧血もひどくて、とにかく出血が大量でフラフラで、とうとう大腸とおさらばしてしまいました。

入院

ICUに入って一晩寝ていた日が誕生日だったんですよ。家族がICUに入ってきたのが、45歳の誕生日のあくる日で。そこから2週間は和歌山医大の救急治療室にいたんですけど。
もともと御坊市にある病院の内科に掛かって潰瘍性大腸炎を診てもらっていたので、2週間で和歌山医大を卒業してもとの御坊市の病院に転院となりました。

地元の病院の内科に戻ってストーマ装具の取り付け方などを教わりました。でも、当時はWOCナースはいない時代だったので、看護師さんと一緒に取り付けをしていました。付けても外れて、付けても外れるので、試行錯誤を繰り返してやっと自分にぴったりのストーマ装具が見つかって退院した形です。

今お話しいただいたのは、実際に発症からドクターヘリの搬送も含めて入院されて、退院されたという状況をお話いただいたということですね。

そうですね。45歳のころとなります。

手術前の入退院

手術前は、入退院を繰り返したとお聞きしました。そのお話もお聞かせいただけますか。

大腸の全摘手術をする前の入院では、潰瘍性大腸炎だったため絶食の指示があり、「食べたらダメだよ」と言われていました。ただ、お見舞いでもらったみかんを食べたり、向かいのラーメン屋にこっそり行って食べたりしていました。
その他に、出前でお好み焼きを取って食べたあと、内緒でゴミ箱に入れたりしたんですが、臭いで看護師さんにバレて怒られたりしました。そうやって大腸を痛めつけるようなことを続けていました。

せっかく大腸を空っぽにして治療しようとのことだったのですが、つい我慢できず食べてしまうんです。なので、半年に1回は入院して、潰瘍性大腸炎の治療をしていました。33~45歳までの12年間はそんな入院が多かったんです。
最悪の場合は、1カ月くらいIVHといって鎖骨下静脈に点滴に入れる治療をしてもらいました。とにかく潰瘍性大腸炎の入院がかなり頻繁でした。

手術後の外来受診

45歳の大腸全摘出のあとの退院後の外来受診に関しては、とくに困ったこともなく、外来には行きませんでした。取り付けも覚えて、イレオストミーの装具も見つかっていたことも理由です。

ありがとうございます。実際に発症されて、入院されて治療を受けて、オストメイトになってということでお話をいただきました。

医療者へのメッセージはありますか?

医療に関して入院中でも退院後に思ったことでも、いま感じていることでもいいんですが、医療者に何かメッセージはありますか?

医療従事者に求めることは、地方でWOCナースがいない病院は、組織的にも研修に行ったりしてほしいです。看護師さんがストーマの専門でなくても、研修やWOCナースさんからアドバイスを受けているだけでも、当事者は安心すると思うので。

当時の和歌山県は本当に相談できる人が少なかったんです。専門でない看護師さんと手探りで取り付け方やケアを見つけていった感じなので。専門の人であれば、もっと早く自分に合うストーマ装具に出会えたんじゃないかと思っていました。ただ、そのときは仕方なく、お互い頑張っていい装具を見つけてもらったという感じです。

潰瘍性大腸炎で内科に通っていたときはオストメイトになりたくなかったので、12年ほど拒んできました。何回も入院するたびに「手術しないか」「ストーマや装具をつけないか」と相談されていたり、「手術は予約しても半年後になるから、早めに決意してほしい」と言われていたのですが、いつでもいいやと思い12年が経ちました。

そんなこともありつつ、今思うのはやはり手術をする、しないに関わらず、外科の先生とも顔合わせしておけば良かったと思います。
潰瘍性大腸炎は内科の病気かもしれませんが、いずれ手術の可能性もある方は、外科の先生と話し合いをしておくと良いかと思います。

日常生活について

お風呂

ありがとうございます。それでは生活に関連したお話を聞いていきたいと思います。
まず、生活の中でもお風呂についてお聞きしたいと思います。オストメイトでお風呂で悩まれている方も非常に多くいらっしゃいますので、お風呂に関連してお話をお聞きしたいと思います。

私は元々両手足が不自由で、足も腰も曲がらないので大きなお風呂なんですね。しゃがみ込んで使う低い椅子ではなく、バリアフリー用の高い椅子を使っています。入浴の際は、高い椅子を浴槽の縁(ヘリ)にくっつけて、お尻を軸にして体を回転すれば湯船に入れるような状態で入ります。

私はお風呂が大好きなんですね。
退院直前に病院のお風呂に入りました。装具を付けた状態で入ったんですけど、外れるもんじゃないとそのときわかりました。退院後は、毎晩お風呂に入っています。
 
昔のオストメイトの先輩方に聞いたら「昔の装具はすぐ外れて、お風呂なんてとてもとても」とシャワーだけな方もいるようです。
全然、最近の装具は良いものでピターっと引っ付いていて、私の場合は1週間外れたことがないので、安心して取り付けることができます。お風呂はそういう感じです。

家の中でも車イスですよね?

トイレに行くときは車いすですが、家の中やお風呂に行くときは歩いています。

そうだったのですね!車いすのオストメイトのお話はあまりお聞きする機会がないので、とても参考になりました。ありがとうございます。

前半はここまでです。
後半は、障害者卓球や講演活動、ストーマ装具、オストメイトになって得られたことなど、柳岡さんの具体的なお話をお届けします。

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この記事を書いた人

ライター//元広告の営業職/NPOの発足から携わって8年目。みなさまの意見が日々の糧になります。

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