過ごしやすい秋の空気が感じられる日が多くなったように思います。とはいえオストメイトにとっては季節を問わず向き合わなければならない排泄や「トイレ」に関すること。最近、オフィスや商業施設の「トイレ」のあり方に関する報道をよく目にします。その内容を知っていくと、どのような「トイレ」があらゆる人にとって安心して利用できるのかとは、なかなか難しい問題だと感じました。オストメイトにとっても重要な、職場や公共施設の「トイレ」。どうあるべきななのか、考えてみました。
あちらを立てればこちらが立たず?
新たな商業施設に、性的マイノリティへの配慮を考えた上で設置されたジェンダーレストイレ(性別に関係なく使えるトイレ)が、女性が安心して利用できないなどの苦情が相次ぎ、男性用・女性用・多目的に分けたトイレに改修されました。また、経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた最高裁判決は大きく報道され、他の公的機関や企業の対応にも影響を与えるといわれています。
一方で、オストメイトにとって単なる排泄目的ではなく、場合によってはストーマケアやパウチの交換も行う場所でもあるトイレ。多機能トイレの設置がなかったり、多機能トイレを利用できたとしても外見ではその必要性が分からない内部障碍者であるため、他の利用者から怪訝な表情を向けられたり、オストメイトにとってもトイレ事情にもまだまだ問題があります。
オストメイト対応トイレだけが増えていくというのも現実には考えにくい気がします。また、誰でも入れる個室トイレだけがただ無秩序に増えるのも問題がありそうです。多機能トイレを増やすにもスペースや予算の問題から容易ではないでしょう。いったい「トイレ」とはどうあるべきなのでしょうか。
「トイレ」は単なる「便所」にあらず
以前にご紹介した「第9回オストメイト生活実態基本調査報告書」の中でも、オストメイト対応トイレを利用する利用目的には、「排泄物処理」以外に「装具交換」を挙げたオストメイトが14.4%いました。「装具交換」というは、ストーマ(人工肛門や人工膀胱)を造設したオストメイトが、ストーマに装着したパウチと呼ばれる袋などを、リムーバー(剥離剤)で丁寧に外し、新しいものを装着する一連の作業のことをいいます。オストメイト歴が長い方でも時間も要しますし、一定のスペースがないと大変難しい作業となります。
音声動画で「第9回オストメイト生活実態基本調査報告書」の内容を知りたい方はこちらから
外出時に配偶者や子供の同伴が必要な高齢者や、乳幼児を連れた保護者、発達障碍者の見守りなど、トイレの利用時に異性の介助を必要とする人、つまり男性と女性の組み合わせとなる方々はたくさんおられるでしょう。ヘアスタイルやメイクやタイなどの身だしなみを整える方や、破れたストッキングの対処を迫られる方や、急に体調が悪化するものの付近にベンチや椅子がないため、緊急避難的に個室トイレに駆け込む方もいるのかもしれません。
あるべき「トイレ」の姿とは
すべての利用者が抵抗なく使えるトイレとして近年注目されているものに、男性用・女性用トイレに加えて「男女共用個室トイレ」を設置する動きがあります。利用者を限定しない個室トイレで、スペースも従来の男女別トイレの個室よりも広めにとり、介助や見守りがしやすい構造となっています。誰でも使えるトイレに関しては、車いす使用者やオストメイトなどバリアフリーに対応したトイレ、いわゆる「多機能トイレ」も存在しますが、幅広い利用者のために設備を多機能化すると、設置にかかるコストもかさみ、一人ひとりにとってはむしろ使いにくくなることもあるそうです。
東京23区の区役所で庁舎移転の検討が相次いで始まっているという報道も目にしました。築50年を超える庁舎が増え、改修には限界があるからだそうです。新設される新庁舎内のトイレはどのようなものになるのでしょうか。駅や商業施設に設置される公共トイレに求められる水準も年々高まっています。しかしながら、施設をつくる側としてはトイレに割けるスペースは限られており、改修時に男女共用の個室トイレを増やそうとしても難しいケースもあり、試行錯誤が続いているそうです。勤め先のトイレのことを考えても、高層ビルにオフィスを構える企業と、雑居ビルにある事務所とは当然、事情が異なるでしょう。
将来の日本の労働人口の推移を考えると、今後、ますます外国人労働者の存在が重要になってくることが予想されます。ムスリムには排泄部を水で洗う規範があり、イスラム圏の国々には小便器がなく個室内に必ずハンドシャワーが設置されているという情報を目にしました。文化や宗教の違いによって、さまざな設備やボタンがある多機能トイレに戸惑う方もいるでしょう。
トイレに対するオストメイトの声も届けながら、これからのトイレがどうあるべきか、考えていかなければと感じます。あるべきトイレについて答えは出せませんでしたが、トイレがどうあるべきかを考えることは、まさに自分とは違う、何らかの事情を抱えている人について考えること、身の回りにそうした人が存在することに気づくことなのだと感じました。